憧れは愚かにもなる
憧れは愚かにもなる
モノマネの人は本物になれない。
外国に憧れても外国人にはなれない。
日本は日本なのに外国の雰囲気やインテリアに憧れる。
外国人にとってはその人のアイデンティティがその人にとって大切だからアフリカ系の人はもしかしたらアフリカンなインテリアをしていて、アジアの人はアジアな雰囲気の部屋に住むのかもしれない。
皆が違うのだから自分というものを他より秀でたように見せる必要もないとも言える。
(why)なぜだろうか
日本は日本人ばかりの中にいる。見た目もアイデンティティもほぼ同じな中で違いや個性を出すため、日々流行や外国や違ったものや新しいものを追いかける。
それが一概に悪いと言うのも海外に被れてるのかもしれない。でも日本の常識が正しいとも言えない。
(What )なにができる?
憧れでなくその人らしさへ、外でなく内への探求
外への探求→
競争、
ないものねだり、
自分ではないものを作る、←自分嫌い?
塑像的
上には上がある世界
終わりがない
内への探求→
真の自分探し
自分のことを愛する手段
他人は無視して自分の好き嫌いを見つける
本当の意味での個性
彫刻的
競争ではなく、個々の世界
終わりがないが追いかけても手の届かない感じじゃない
(HOW )どうするのか
内への探求をめざすこと、この地球の住人
たとえばインテリアなら
世界の中で、日本に生まれ育ってこう言うバックボーンがある自分の好き嫌いをよーく聞きながら求めるスタイルとは?
その部屋はどうあって欲しいのか?
どの行動が自分にとって大切なのか?
眠ること?
光の美しさ?
落ち着き感?
さわやかさ?
人からどう見られたいからではなく、(全く必要なくはないが)
自分がどう真に思って求めているのか。
その思想なのだ。
結局それを突き詰めていくところに人からの見える良さが現れる。
その絵は部屋に飾るにあたってどう言う意味をもたらすのか?絵はどう飾るのか、どの高さなのか?
ソファーはどの角度がいいのか?
自分にとっての美しさ、心地よさ、しっくり。
この調べたら全ての答えらしき、一般常識が見つかる世の中で実は大切なのは、
それら全てに従うことでなく、自分の視点に立って自分の感性を突き詰めること。
普遍的な真実、ただしさ、どうあるべきかは存在しない。
だとしたら自分にとっての真実を見つけることができることではないか?
自分にとっての正しさ、真実、心地よさを探すこと。それは普遍的なものでなく個人のもので、それが個性であり、追いかけるものではない見つけることのできるかっこよさや美しさである。