ファッションとオシャレってなんだろう
ファッションとオシャレってなんだろう
- モテたいか、服をたのしみたいのか
ファッションは少なくとも2つの方向性がある。
・モテたいファッション(良い印象を与えるファッション)
と
・服を楽しむファッション(自分が心地よい)
そのどちらも満たすこともあるけれど根本的にはどちらなのかと言うこと。
- 人のために着るのか、自分のために着るのか
人のために着る場合、
自分の好きや嫌いではなく、人に見られて良いのかどうかが問題である。
トレンドや雑誌で言われるファッションポイントがとても重要になってくる。
メリットは
多くの人に対して印象の良いファッションを作れる。モテやすい。
デメリットは
人に見られない部屋着などオンオフが激しかったり、自分で良いものを選べないこと。人にダメだと言われたりすると自信を失ったり、人との比較をしてしまう。トレンドを押さえていないと自分が劣等生なような気がしてしまう。相手軸になる。
自分のために着る場合
好きなものを着る。着心地が良かったり、服の見えもしないディティールが好きだったりと自己満足や自分が服が好きで着ている。
メリットは
人と比較しなくてすむ。
人がどうであれ自分が好きなんだからなにも気にしなくて良い。
トレンドに惑わされない。
ワイドなパンツが流行っていても、自分が細いパンツが好きならそれを堂々と着る。
変だと言われたって好きだから自信がある。
雑誌などの着こなしテクではなく、自分でいい具合に着ようと工夫する。
自分の美的感覚を磨ける。
知らないうちにハイセンスになる可能性があるのはこっちである場合が多い。
自分軸になる。
デメリットは
無茶苦茶になる可能性はある。
人から印象が良いとは言い切れない場合がある。モテない。カッコいいというより個性的、変という区分になる場合が多い。
- 世間のルールと自分のルール
世間では常に、この色が流行り、この着こなしが良い。色は3色以内。基本は白黒、など初心者のルールを提示してくる。
果たしていつから中級者なのか誰も教えてくれない。物事はいつも実験的で、失敗を繰り返し体感で覚えていくものだ。
初心者のルールは、いってみたら誰でも好印象なファッションが作れるベーシックルールというところで、ファッション自体は自由なのだ。
もちろん合わせ技もありで、そのルールを組み込みながら自分を極めていくこともありだろう。しかしそれではなければいけなくなったり、それがなければ成立しないものではないのではないだろうか。
ファッションショーなどはたしかにショーであるけれどそんなルールを超越している。
- ファッションは少なくとも自己表現である。
身にまとうものや髪型は人に与える印象を大きく変える。
それは自分をよく見せることにも使えるし、等身大の自分を表現することもできる。
等身大の自分、または自分の興味を自分にまとうことで自分の好きなものはこれです!と自分を現すことができる。
- 高い服の利点
高い服って買う必要はあるのだろうか。高い服というよりは本当に心がときめくような服を見つけた時、安くても高くてもそれは身につけているだけで幸せな気持ちにさせる。
安いものはワンシーズンしか着ないが、本当にときめいた服は一生着る。だとしたら高くてもいいのかもしれない。
そして高い服というのは浪費ではなく、投資であることが多い。
ブランドや、デッドストックのミリタリーなど、一概に高ければ良いというわけではないけれど、高いものはいざ着ない時も高く売ることができる。安物はほとんど捨てるような値段にしかならない。
ミリタリーデッドストックで貴重なものになるとある程度着古していても数万円で取引されることもある。価値のあるものは希少で今後もどんどん値の上がるものがある。
- トレンドって本当なのか
毎年のように、今年は〜色!こう言う着こなしが新しい。ことしはコレにコレを合わせる。と言うけれどそれはどこから発信された情報なんだろうか。
外国から来たトレンドなのか、何かを売りたい人たちが考えた戦略なのか。
たしかにそれは不思議と新しく、新鮮で、カッコよく見えるのはすごいと思う。
でもそれを踏まえなければファッションはあり得ないわけではない。トレンドは楽しむための一要素で、うまく取り入れても良いし、無視したって良い。
- 一点集中の自分らしさ
モテようとする必要はあるのだろうか。
モテることはたしかに、ものすごい言動になる。あらゆる綺麗事の動機があるけれど大抵裏にはモテたい、チヤホヤされたいという純粋な動機があったりする。
モテたいからこそ、人の目を気にして自分を客観的に見ることができるし、大きな物事をやる気力を与えてくれたりする。
モテたいと思うことは決して悪いことではないし、客観的な目はある程度必要だ。
結局モテる必要あるのか。
この世の中で結婚するために必要なことは、
たった一人の、自分を好きだという相手を見つけること。 だとしたら、
あなたはあなたらしく、まるでわたしはこう言う人です。という大衆ウケはしないが、あなたらしい服装や趣味を大々的に現しているほうが良い。そんなたった一人のそれがわたしもいいと思う!という人を見つければ良い。
多くの人に自分を隠して見せる必要はないのかもしれない。
- どんな分野も興味が出るポイントはある。
ファッションに興味がない場合、服が好きなのではなくて、何を着たらいいかわからない。なぜそう思うかと言うと、この世のトレンドや一般的にいいとされるものがわからない。他人視点で「普通」に合わせようと必死になるがトレンドに踊らされて疲れてしまった。
そんな時は自分視点に立ってトレンドなんて無視して、人の目なんて無視して、自分はどんな服が好きなのかを考えてみた。
ミリタリーデッドストックに興味がある時は、その作り込みや、丈夫さやデザイン性に惹かれたりして、そこが入り口となってだんだんと服に興味がでて、ファッションに興味がでた。その大好きな服をよく見せたいからこそのルールを駆使してみたり、他の安いものも組み合わせてみたり、いい感じに見えるにはどうしたら良いのか考えたり。帽子も被ったことがなかったのに、そこを入り口にどんどんと深みにはまるように服が好きになった。そうやって磨かれたセンスは独特だけど、雑誌のルールに従っているだけでは身に付かないし、他の服を着たりするときにも応用できたりする。
一見苦手な分野、それはファッションに関係なく、勉強もそうだけれど、一般的な入り口は嫌悪感や苦手意識があっても自分の興味や趣味を入り口に自分のやり方で入っていくと、おのずと一般的なレベルに達していたり、超えていたりする。
- いつまでも好きな服を着て
本当はオシャレなんかである必要はない。人からよくみられたいからオシャレになりたいのであって、自分らしくなりたいのだとおもう。人の目を気にするのではなくて自分の思うままでありたいのだ。
自分で自分の興味を磨いて、人からどうみられるかで自分を閉じ込めないでよい。
歳をとっても、金髪で髪を立ててサングラスをかけたって良い。おじいさんだからといっておじいさんらしい服を着なくていい。
大抵どんな服装をしていても、女装をしていても、2〜3日いじったらみんな飽きてなれてしまう。そんな人なんだろう。と思う。
そんな人でありたい。
- 人が憧れるのは自信のある姿
人が憧れるのはその人がオシャレな服を着ているからではない。その人が自信を持っているから説得力を持って見える。
オシャレな人は靴下を違い違いに間違えてはいても意図があるようにさえ見せてしまう。
はげあたまを隠している人を人はいじりたくなる。でも堂々としている人はいじれない。
シワを隠そうと若作りすると必死さに引いてしまう。でもシワシワで白髪頭でもそれを受け入れて堂々としている人に憧れる。
人はそのありのままを受け入れて堂々とする姿、自信、その生き様に引かれる。
自分を自分らしく表現することを恐れなくて良い。