無職 引きこもりだった時にしてほしかったこと
無職 引きこもりだった時にしてほしかったこと
1〜2年ほど仕事を失い人にも会いたくない時があった。自分でできることはあるけれど、あの時してほしかったこと今の自分ならどうしてあげたいかを考えてみる。同じ境遇の人に接する時どうするのかの役に立ったら幸いです。
自己肯定感を上げてあげること
仕事がない時真面目な人ほど自分を責めてしまう。
なんでみんなは当たり前にできることができないのだろう。
みんなは怖くないことがこんなに怖いのだろう。
恥ずかしい。こう思われているんじゃないか。
自分はダメな奴だ。。。
プライドがズタボロで、自己肯定感はどんどん下がっていく。
それは負の連鎖で、自信がなくなると人にも会いたくない、比較してしまうから、
気分も落ちて鬱気味になりやる気もなくなる。動くこともできない。
やる気がないと、面接で落ちる。
落ちるともう何もできない気になる。。。。とずっと自分を責める流れになる。
自分自身でも、接する人も、自己肯定感をできるだけ下げず、仕事がなくても自信をつけることが実はもう一度活動していく近道だと思った。
世間体を気にしないで欲しい
接する人には世間体から物を言わないで欲しい。
本人は世間体を十分に理解している。そして既に自分を責めている。
その上あなたのために仕事をすすめていると言いながら、
近所からはこう思われたくない。こんな歳でこんな状況なんて恥ずかしい。という感情がチラつく時大きく傷つく。
相手のためを思って、その言葉は本当に相手のためなのか。自分の都合の良い方に誘導しようという意図はないか。言葉を出す前に考えたい。
世間とは違う寄り添い
本人は本人で自分を責めている。もうこれ以上焦らせたり、甘えてると叱ったり、やる気があるのかと叱ったりしないで欲しい。
自分と世間の目から十分に言わんとすることを察している。
だからそんな弱い立場に寄り添って欲しい。普通に、心配しない、で接して欲しい。信じてあげて欲しい。
信じてあげること
せめるのでも心配するのでなく、あなたならできるはずと言葉にしないでもそう信じて期待し続けて欲しい。他に救いがないのだから唯一の味方であって欲しい。
正論が傷つける
あなたのことを思って、
早く見つけないと歳を取ると大変
私たちが死んだら誰が面倒を見てくれるの。
この仕事してみたら、資格を取ってみたら、学校に行ってみたら、
やってみなきゃわからないじゃん。何事も経験。
どれもポジティブで、こちらへの愛情のある言葉だ。
でも言われなくても十分にわかっている。でもどうしたら良いのかわからず、もがいている。一歩を踏み出すのに慎重になっていて、周りが全員敵に見える。
正論や優しさ、わかっているが、なにもこたえられない。うんうん。というか、正論を一生懸命非難するか、反抗的になって口も聞かないかしかできない。
じゃあどうしたら、、
その言葉は必要だろうか。焦らせることで仕事が見つかる原動力に私はならなかった。
いろんな生き方がある
アルバイト、派遣、正社員だけがはたらきかたではない。
ブログやせどりや、ハンドメイド、youtube、内職や、クラウドワークスのようなネットの仕事、人の手伝いでもあらゆるサービスがある。どんなことででも、1円でも稼ぐことができたらよくやったと言ってあげたいし、それは仕事だ。不安定だって良い。1円でも自立できたのなら大きな一歩だと思おう。
あらゆるところから小銭をかき集めて生きてたって良い。
人から見て、胸を張れる仕事かどうかなんてどうだって良い。
自分には得意不得意、好き嫌いがある。そして今の精神状態でできることできないこと。
嫌なことを嫌々やるより、1ミリでもできそうなことを儲からなくても趣味からやり始められたらいい。
また働き方だけでなく、生き方もいろいろある。
山奥ニートのように最小限に働いてできるだけ働かないで支出を抑えた生き方もある。
そんな逃げ道も自分の支えになる。
あなたのスピードで
同世代が結婚しても子供が幾つになっても、よそはよそで良い。
私は自分を何かしらの病気か障害とでも認定してほしかった(そのような人を悪くいうつもりはなく)なぜならそのようであれば一般社会から個人の生き方になれる気がしたから。
その人の人生はその人のもので、その人の成長のスピードがある。
みんながこうしているからといってそれに合わせさせようという世間体を捨てて欲しい。
ゆっくりがんばって大人になっていると思って欲しい。人が20歳でできることを30、40年かけてしている。
仕事を早く始めて欲しいのもいつまで支えたら良いのかも、死ぬまでに自立させたいのもわかっている。
でも急かすことは解決にならない。
仕事をやめたのなら、ゆっくり休んでゆっくり考えたら良いと大きな懐で包んで欲しい。
友人にそう言われた時とても救われた。
ゆっくり自分の道を探せるように、好きなことをできるだけして得意を見つけていくように猶予を与えて欲しい。
実は人は本当に何もせずにはいられない。
本当に休めると、何かしら活動したくなる。物を作りたくなったり、書いてみたくなったり、音楽を作ったりパンを作ったり、うどんを売ったり、自転車をいじったり、壁を塗りたくなったり、
そのクリエイティビティは十分仕事になる可能性があったりする。
だから心配はしないで十分に休んで心の傷を癒すこと。心が元気になって初めて活力が生まれる。遊ぶように自由にしたいことをして、そこから切り替えるのでなくて、そのままそれを活かせるようなサービスや仕事を見つけていく。ゆっくり。
いけないのは、焦ること、これは心を傷つけるばかりで充電してくれない。そうすると時間がもっとかかる。自己肯定感を下げ、何もできなくなるばかりだ。
時間がかかるということは、休んでいるように見えても心は疲れ切っている可能性がある。
死ぬよりはマシ
私が苦しい時生きるために思っていたことを接する人にも思っていて欲しい。
[命を落とすか、みんなに非難されてもニートでいるか。と考えると生きていてくれた方がマシ。]
ということだ。
死なれるよりニートの方がマシ。
だったら這いつくばって惨めに生きてやろうと私は思えた。
ニートや無職、引きこもりの人と接する時、死んでしまうよりかはマシだといつも思って欲しい。甘えだがそうだ。いつもその比較の中で生きていることを偉いと思って欲しい。
辛そうに見せなくても相当辛い
本当に鬱になるまではその人のキャラにもよるが私は明るく振る舞おうとした、でも1人になると自分の言葉も含めて自分を責めていて、鬱状態だったと思う。
落ち込んでいないから平気だと思わないで欲しいし、厳しい一言はいわないでほしい。
必要なら精神科に行きやすい環境
生真面目な人ほど自分を責め続けてしまう。そこで家族の優しさや正論、世間の目がかなり精神を蝕んでいる。どう進めるのがベストかわからないが、自分たちでどうにかするのでなく、気軽に精神科に行ける環境があったらよかったと思う。
休むことと同様に、自分の中で踏み出せない理由や言えない吐き出したい気持ちを明確にケアすることがむしろ新しく動き出すための近道かもしれない。
仕事はアイデンティティではない
自分を責めている理由の大きなものは、仕事がないとまるで自分はいない、価値がないと思ってしまうこと。
また接する人も、仕事をしていない人はダメな人と決めつけた言い方をすること。
でもそうだろうか。
アイデンティティは存在にある。
生きているだけ、何もしていなくても、何の経歴もなくても、裸でも、その人には価値がある。赤ちゃんが産まれて何もできないのに大事だと思うように大事だ。
これは全ての状況を打破するものではない。私に取って必要だった言葉を考えてみた。