幸せ 灯台下暗し
幸せ 灯台下暗し
幸せを知るには外から足元を見る必要がある。
日本にいる幸せは外国に行くとわかったりする。
家族がいる幸せは家族がいなくなった時わかったりする。
だからといっていなくなるまで、外に出るまで知ることができないかと言ったらまた別。
昔の写真をみてあの時は若くて幸せだった。と思っている現在の写真を10年後に見て多分同じようにおもうのだろう。
自分をまるで外から見るように見れば良い。
そして今にフォーカスする。
過去は今より良いとしても、未来からしたら今がベストなのかもしれない。
今の幸せを感じておかなければ損だ。
幸せは外に探してもない。今その足元にあるもの。与えられている状況や環境や内的なものにある。
幸せはすでに得ているものでいずれてにいれるものではない。
一億ためても、結婚しても、就職しても、子供ができても、家を持っても、理想の車に乗っても幸せになれるわけではない。
その時その足元に幸せがあるだけでその持ち物によるものではない。
- 今不幸な時どうする
今不幸でも、10年後からしたらあのとき幸せだったと思うかもしれない。
いじめを受けていても10年後の自分からしたらあの状況でも生き抜いた俺は強いと思うかもしれない。今なら死んでるだろうと思うかもしれない。
↑
それってもっと将来が不幸ということなのか。
幸せは気づかないかぎり不幸ではある。
どんなに満たされた環境でも人は死んだりする。戦地でも強く生きたりもする。
戦時中にも幸せを感じていたりする。幸せは環境に左右されずいつでもどこでも何時でも感じることができる。
- 比較しない幸せはあるのか
いつもあの人よりは収入がいいからわたしは幸せとか。
あの人は独身だけどわたしは結婚しているから幸せとか。
比較があるから幸せならば比較で上位にならなければ永遠に不幸ということになる。
しかしその基準は曖昧だ。
日本的、一般的、基準において豊かとされることから比較して幸せとしている。
でもその基準はここだけのものかもしれない。
結婚しないことが幸せな価値観もあるし、収入のためにあくせく働かない自由が幸せかもしれない。
↑これも一般的幸せに比較していないか?
比較しない幸せはあるのだろうか。
もしこの世の中自分一人だったらどうか。
だれも比較対象がいない。
だとしたら働かなくてもいいけど生きてはいかなきゃいけない。
そんな時何が一体幸せか。
大きな魚がとれた🐟?美味しく料理できた?
ベッドが心地いい?天気がいい?風が気持ちいい?
↑
猫じゃん🐈
猫が感じている幸せって本当は純粋な幸せなんだろう。
・純粋な原始的な幸せ→だれも不幸にしない→今あるものを感じ取る幸せ。
・比較した幸せ→比較に外れたものは自分であっても不幸になる。→外的なものを獲得する幸せ→優越感と劣等感の別意で幸せと不幸
- 猫は比較しないのか。
猫は比較しないんじゃなかろうか
あの猫より飯がある。あの猫より広いテリトリーがある。メスにモテる。だからといって優越感に浸りはしない。
ただ感じているのはその状況において嬉しいだけでその状況を獲得していない奴らをみて悦になったりはしていないのではないか。
やはり原始的幸せを感じている。
猫にとって不幸な時は、、嫌な気分になる時くらいで不幸だとは思っていないのでは?
幸せということが人間の概念で、猫にとっては嬉しいか嫌かというくらいなのだろう。
そう考えると人間だけが過去や未来、他人との比較をすることによって感じる独特な価値観が幸せなのではないだろうか。
それはある意味で動物より無意味で愚かさも含む価値観なのかもしれない。
幸せは感じたっていいがなくても生きることはできる。