自分の言葉が自分に影響を与える 謙遜する必要ってあるのか
自分の言葉が自分に影響を与える。
- 下手な謙遜は自分を傷つける
思ってもないのに謙遜すると後でその言葉が自分を責める。
明らかに相手が悪いのに、思わず、すみません汗💦と言った時、あとで何で俺が謝ってるんだ!と思う。
お前はパラサイトだな!
→寄生してなんぼじゃい!
その時は笑い話のように強がっていても、結局相手の言葉に加えて自分で自分を下げたことや認めたことが自分を責める。
- 他人を傷つけることもある。
思わぬことを言う時、
夫が妻を褒められて
綺麗な奥さんですね!
→いやいや気が利かないやつなんですよ!
それはその場凌ぎの謙遜だと誰もがわかるが、それは妻を実は傷つけている。
- 謙遜に意味はあるのか?
〈why〉なぜそもそも謙遜するのか
相手を立てるため?
角が立たないため?
↓
結局は相手の噂話や嫉妬や妬みが怖いからだ。
しかし
最後には羨ましがられる人間性は謙遜しない人だったりする。
どんな時も妻を愛する人、仲睦まじい夫婦。
どんな時もポジティブな人、弱音を吐かない人、自信のある人
↑
こう言う存在を最終的には人間どこか憧れているものだ。
・謙遜する必要はない。
・ただ無意味に自慢する必要もない。
謙遜しないことと自慢することは異なる。
自慢することは愚かさを孕んでいる。
他人に問われて、思ってもいない、謙遜の言葉を使う必要はない。
たとえば
お美しいですね!
→いやいやそんなことはありません。わたしは、、、、
と言うのではなく、
→ありがとうございます。褒められて嬉しいです。
確かに角は立つが何が悪い。
しかし
問われてもないのに
私は美しい!!
と言うものはナルシストであり他人にあなたは美しいといって欲しくてたまらない人でしかない。
ナルシストは自己愛なのでなくやはり承認欲求の追求、欠乏を満たそうとしている行為かもしれない。
- 自分、他人を正当に評価する。肯定すること。しかしそれは自分のうちで完結する。
下げる必要はない。しかしそれを発信する必要はない。
そうすれば心は守られる。