厳しくして伸びる人の終焉
厳しくして伸びる人の終焉
- 褒めて伸びる教育以外おかしくない?
厳しくして伸びるとは
スパルタ的で何でこれができないんだ!と厳しくしてこんちくしょう根性や負けん気で立ち上がらせる教育方針だ。
でもこれは今通用するのだろうか。
軍隊のような個を殺して集団として命をかける場合や、ヤンキーのように負けん気やプライド、舐められるのが嫌な他人に対しては有効だったかもしれない。
いやたぶん軍隊から来ているんじゃないだろうか。
現代ではどうなのか?
暴力や力、上下関係で相手を子分や軍隊のようにしつけような教育は現代では忌み嫌われる。パワハラの一言で片付けられる。
〈why〉
・自己肯定感を下げる教育
・上に依存する教育。上がいなくなると自発的に行動できない。
・恐怖心を軸にしている。負けん気がない場合。
- 褒めて伸ばす教育はどうなのか
・自己肯定感をたかめる。
・自発性をうむ
・自信や自分の可能性に期待できる存在になる。
〈how〉
- 友達のようになる。←上下関係の崩壊
- 相手の悪いところに目をつむり、良いところを伸ばす。
↓
これはある意味でただしい。
厳しい教育は、無理矢理でも均一化しなければいけない。できないものもできるものも適材適所も関係なく皆に基礎を叩き込む。
褒める教育はそれと逆で、良いところを伸ばしていくその子の個性を伸ばし、あらゆる得意分野を持ったたくさんの別々の人材を育成する。
↓
苦手があって当然。
文系理系がいるようにオールマイティはいない。あらゆるもののベースとなる知識は必要だが無理矢理詰め込むものでない。
褒めながら得意を伸ばす時
勉強は楽しいものと認識される。
知識は全てにつながっている。あらゆることを学ぶうちに別の分野に興味が湧いたり、繋がったりもする。楽しい勉強に嫌いな勉強は追いつけない。
- 肯定する教育
- 動物の教育はどうか
犬の訓練でも、今は叩いたり怒鳴ったり昔のサーカスのようなしつけはしない。
友達のようになってどんな真面目な訓練も少しずつその子の習性を利用しながらコントロールしていく。
犬は遊んでいるとしか思っていない。むしろできればできるようになる程楽しい遊びになる。人探しをしている犬は尻尾を振っている。
猫にだってしつけるときは怒ってもその瞬間だけ、しかし褒めること、最初から問題を起こす要素を無くしておくことが大切で、怒ることや叩くことは、問題でなくその人間に対する恐怖にしか認識されない。
猫にとっては褒めることあそぶこと。遊びの中で相手が望むものを得られるという喜びを使ってコントロールしてこちらの望む芸を身につけさせる。猫は遊んでいるとしか思っていない。
叩くことは恐怖を植え付け、その人がいる限り言うことを聞かないと怖い目に遭うと言う恐怖によるコントロール。
それはその人がいなくなった途端解放されるか、監禁された洗脳状態やDV被害者のような理解できない依存関係になる。
褒めることは、相手に遊んでいる、楽しい、と感じさせながら少しずつ望む形へと導いていく手段だ。