すでに良い
すでに良い
- 変わる必要はない。そのままでいい。
自分を変えたり、変わる必要ってあるのだろうか。
HSPのあらゆる対策は、避けること。
ストレスに対して立ち向かったり、どうにか適応しようと自分を変えようと試みるのではなく、
光が眩しい時はサングラスをかけ、
他人に疲れたら一人になり、
うるさいなら耳栓して、
できるだけ避けて生きる。
これは自分を変えるのではなく環境を変えると言うことだ。
- 環境を変える。
いじめを受けて無理にそこにいる必要はない、学校、職場を変えていい。
嫌なことを変えたり、他人に迷惑がかかるようならそこから違う場所に行けばいい。
- 自分は自分のままでいい。
- より自由なありのままの自分になる。
より自由なありのままの自分とは
つまり今の自分はすでに違う状態にあるかもしれないと言うことだ。
なれもしないのになりたい理想になるのではなく、じゃがいもがにんじんになるわけでもなく、マンチカンはマンチカンらしくあるためのもの
〈why〉今の自分はなぜ変わったのか。
親の教育、学校教育、日本の常識、世間の目、道徳観、宗教観、あらゆる人間関係による影響、憧れや理想、失敗の経験、プライドなどさまざまな理由がある。
まるで埃が溜まっていくように、元ある姿にこべりついている。
それを見直していく時、それら一つ一つを剥がしていき自分の姿はどんなものであったのかを再確認する。それがなるべくある形で、個性である。
つまり付け足す必要がない。
- 人は影響し合うから良いのでは?影響力をどう考えるのか。
影響とは?
影響とは他者から加わる力で引力があって、そうなりたいと思わせたり、考え方を変えたりする。
何が問題か?
それはこべりつきとは何が違うのか。
外部の影響により自分にない形に自分を変えようとする力にならないか?
↑それは悪いことなのだろうか。
問題点は、捉え方ではないか?
影響を受けた時、それをいかに自分のものとして扱うのかが問題なのではないか。
たとえば
狩りのうまいアメショーがいて、狩りの下手なマンチカンが憧れたとしよう。
↑
マンチカンは狩りが下手でもよくないか?そのままで良いのでは?
↑確かにそれも個性だが、それは変えることのできること。足をアメショーのように伸ばすことはコントロール不可のこと。
↑コントロールの可否の問題か?
↓
影響を噛み砕いて、自分のものにする。自分の養分にする。
その人のやったままではなく、噛み砕く。
絵画だとしてもあらゆるテーマがある。テーマは作品に影響を与える。
しかし求められるのは各々がどのような回答をだすのか。そこに個性がある。
- あなたがどうとらえ、どう回答するのか。そこに個性、独創性がある。
- 影響とは価値観を広げるためのもので有益なものだ。
イタリアに行ったからこそその影響があるからこそ、働き方、日本の常識というものに目が開かれた。
影響はある意味、別の角度から自分に何がこびりついているのかを見るためにある。
- どうやって剥がしていくのか
見直していく。間違いはなかったか。不可抗力はなかったか。
好きなことか嫌いなことか。
- ようはあなたはあなたのままで素晴らしい。何かを達成するからではないと言うこと。だから変わらなければいけないと思わなくていい。ただもっと自由になっていくほど輝くものだ。