才能ってなんだろう
才能ってなんだろう
・なんだって才能になりうる。
努力する才能
継続する才能
鈍感な才能
普通に考えたら一般的な能力も他の人ができないほどになると才能と認識される。
・デフォルトの才能
たしかに最初の段階から何故か難なくできる人とそれが苦労しないとできない人がいる。
どこで歌をそんな幼く習ったのかと言うほどデフォルトで歌の上手い子どもや英語にたけたこがいる。
・気づいた時から伸びる才能。
それに出会うまでは平凡だが、気付いたその時から普通の人を遥かに超えてしまう。もしくは楽しんで難なくできる。
目が見えなかったのに、ピアノをやり始めたらとても上手くなったとか、将棋を父が買ってきてのめり込んでやるようになったとか。
・その時だけの才能、天才。
子供の天才は他の子供より秀でていて、大人もびっくりするレベルだったりするとみんな天才だという。
子供なのに絵が上手い。ピアノが上手い。ドラムができる。
でもそれは早い段階で大人レベルなだけで、確かに才能だが、大人になるとある程度普通のレベルだったりする。
・客観的に見てひいでてるだけ
これは誰からの目線で「才能」「天才」だといっているのだろうか。
結局ノーマルな人からみて、あいつ俺よりすげえとなった時点で才能と呼んだり、
遥かに追いつけないと天才だと言う。
努力できない奴の言い訳だといったりもする。
・天才がしているのは努力なのか
魚の名前を覚えろと言われて10時間勉強することを努力だと感じる。
いやいややっていることも努力だが、夢中でやってることも努力であるのには違いない。
魚好きの人にとっては20時間図鑑を握りしめて読んでいてもその人にとってのその努力は遊びや楽しみに含まれてしまう。
そういう意味では努力を努力と思わない才能なのかもしれない。
その人にとってはあまりにも難のないこと。
夢中の人に努力はかなわないとはまさにその通りだろう。
・得意なことってなんだろう。
朝ドラで言っていた。
「人よりほんの少し努力するのがつらくなくて、ほんの少し簡単にできること」(朝ドラ エールより)
その人にとっては辛くない。そして少しだけ簡単なこと。
魚の名前を覚えるのは私にはあまりに辛い。
その人その人にどこか簡単にできることがこの世の中には眠っている。それを見つけた人は、才能がある。そして人から見てかなり秀でていたら天才だ。
・天才である必要はないし、多くの人は小さな才能を生かしながら生きている。
天才はそれなりに大変な使命を持っているのかもしれない。
別にトップでなくても才能が生かされる場所はある。
時代を変える漫画家にならなくても面白い漫画家もいる。
ボタンを連打する才能やけん玉の才能、ゲームの才能、チャーハンだけ上手に作れる才能、人の気持ちを察する才能、リーダーになる才能、ボランティアには行かないではいられない才能、捨て猫をほっとけない才能。。。
人に誇れなくたって人が才能と判断しなくても、それは実は秀でていたりする。上には上がいても、その人にはその人のやれることがある。
・才能のある分野の中でも細分化されていく。
絵を描くのが好きだ。
でも彫刻より平面がすきだ。
絵を描くのが好きでも、ギャラリーや宣伝、人間関係がどうも苦手だ。
→芸術家は諦めよう。
こうなると
まるで絵の才能がなかった。。とすり替えられて夢破れた感じになる。でもそうではないはずだ。
・夢破れているのか。細分化されただけだ。
↑からすると
夢破れたのは → 芸術家になること。
とくに→ ギャラリーやお客さんと触れ合うことや、あらゆる人間関係を作ること、作品を宣伝して回ることやあらゆるコネクションを作ること。
であって、絵を描くこと、物を作ることではない。
絵を描くことや物を作ることでできることはまだたくさんある。
その中で自分がピタッとフィットできるより才能を活かせる辛くなくて少し簡単なことを見つけられたらそれが天職になる。
人生で早くにそれを見つけた人は確かに幸せだ。そこでの苦悩も確かにあるだろう。
早く見つけられる人もいれば人生長く渡り歩きながらようやく巡り会えるパターンもある。
けして秀でなくても、トップにならなくてもそのピタッとはまれる場所をみつけられたらそれで幸せなのだ。