比較をしないと見えること
比較をしないと見えること
常に「どうせ自分は半人前で何も分かっていない。たくさんの気付いてないことがあるのになにができるんだ。」そう考える。
たしかに多くのことを後々気づく。
その時になってあの時は何も知らずわかったようなことを言っていたと恥ずかしくなる。そうだと自分に自信がなくなる(自己肯定感の低下)
自己肯定感の低下はあらゆることが自分は正しくない他の人の方が優れていると自分を持たず他人の意見に左右されるようになる。
- 人と比較をやめる。
- 自分の持つもので自分を満足させれば良い
人と比較するとそれは上には上があり、下には下がいる。それは終わりがない。上に行けば見下し、下に行けば妬んだり自信がなくなる。
その競争から逃れるとどうなるのか。
半人前でも満足できたらいい。
料理の知識がプロじゃなくても美味しいものは作れる。
株の知識はなくても自分の生活や環境に合わせた投資は小規模でもできる。
ファッションのプロじゃなくても服が好きで楽しめる。
絵が上手くなくても自分は好き。
その中で
・人に褒められたい
・人に認められたい
・威張ったり教えてやりたい
そういう気持ちは比較なしにはありえない感情だ。モチベーションのためにはいいが競争から離れられない。
この世の中であり得る幸せは
自分で自分を満足させること。
他人を幸せにしても見返りはわからない。
勝ってからではいつになるかわからない。
負けていても幸せになれない。
競争からはなれ、比較をやめ、自分が満足することにフォーカスする。
満足とは幸せだから幸せを感じることができる。
Q.承認欲求や優越感がないのなら一体何を他人と共有するのか。
他人は他人 その人はその人を満たして幸せなのだからこちらから比較を持ち出さなくていい。
その人が自分よりできていなくてもその人が満足していれば良い。
その人が自分よりできていてもその人はその人の環境や努力や才能でその立場があり、その立場の喜びとともに知らない苦労がある。
人のいいとこだけ見て妬む必要はないし、できていない自分を低くみる必要はない。
- 正しさ、真実の一点に向かっているのではないということ
一つのゴールや頂点があって、
そこに向かってみんな走っているのなら
自分は前あの人後ろ、優劣ができてしまう。
- ゴールではなくて、この世の中には正解がたくさんある。各々のゴールにたどり着けばいい。
絵を描く時、写実を基準にするなら上手い下手ができる。でもオールジャンルで見る時、上手い絵も、個性的な絵もそれぞれに良い。とくに本人が良いというなら良い。
だったらプラスを選ぼう
だったらプラスを選ぼう
物事には両極の意見がある
戦争はお互いの正しさによっておこる。
この世の中の意見は、どんな意見でも、論理を構築したら真っ当な意見になる。
戦争は正しいということも
戦争は間違いということも
無茶苦茶な意見でも正論にすることができる。
同じように一つの事柄にはポジティブとネガティブな両極を含んでいる。
どんな事柄にもメリットはあるしリスクがある。
どんなことでもネガティヴとポジティブがあるのならポジティブを見た方が特だ。
ネガティヴはリスクを想定するには良いが感情を持っていかれると作業効率を下げてしまう。
死と悲しみと後悔と生き方
死と悲しみと後悔と生き方
2つの道がある。
1、たくさんの時間関わり、思い入れを持ち、その人が亡くなった時、心から悲しんで、もしかしたら心を長くやむほど辛い思いをする。
2.あまり関わらないで、その人が亡くなったあと、あまり関わりがない故に悲しみはないのと引き換えにもっとこうすべきだったのではと後悔する。
人が亡くなってしまう時、喜ぶことはあまりないだろう。相当その死に様がその人にとって良いもので大往生なら別かもしれないが、
できるなら1を選び、後悔なく悲しむことが良い。
あなたはどう考えるのかを聞きたい
あなたはどう考えるのかを聞きたい
大学で学んだ一つのことは
正解の意見でなく、
あなたはどう考えるのか。だ
あなたの人生、バックボーン
生育環境、家族関係、血筋、その培われた存在から見て、その対象は
どう見えるのか。
だから人と違ってなんぼで、その違いを見たがっている
同じことを言うのではなく、どうどうと違っていい。
服装だってそう。あなたにとっての春のファッションとは?
あなたにとっての都会の音楽とは、
あなたにとっての政治とは、
あなたにとっての和食、、、
人と違うことはいいことだ。
いや
まして人と同じであるはずがない。みなこの世の中には同じ人間がいないのだ。
みな捉え方が違う。その多様性を楽しんでいるのだ。
人生の答えを探すことの無意味さ
人生には答えがない。
あったならこの歴史のうちの誰かしらが真理のゴールにたどり着いてリークしてるだろうし漏れるだろう。
人生は真実をさがす「競争」じゃない。
競争ではないのならそれはみな同じレースに参加していないのだ。
だれもが同じゴールにたどり着くのではなく、各々のストーリーを送るのが人生だ。
これも答えさがしか?
どうやったら生きやすいか、人はどう考える傾向があるのか、処世術はわかるかもしれない。でも真実、生きる意味、存在意義はさがしても良いがそれ以外のことに時間を使ったほうが良いとわかってきた。
ならどう生きるのか。
生きることは、リアクションの取り方だという。
起こる物事にただしい、まちがいをみつけるのでなくどうリアクションするのか。
人はその人を普段から判断する
人はその人を普段から判断する。
毎日働く人が休むと、何かあったんじゃないかと思う。
たまにしか働かない人が休むと、いつものことだと思う。
たまにブログをアップする人は、まあそんなもんだと思うが、ルーティン的に毎日、決まった時間にアップするほど休むと何かあったのかと思う。
いつも同じ服を着てるとたまに違う服を着るとおっ!ってなる。
毎日いろんな服を着たりしているとそこまで気にならない。
何が言いたいかというと、
自分に無理なルールは自分を苦しめる。
毎日続けるのが苦手な人が、毎日続けると、休めなくなる。
真面目な人は悪いことを言えなくなる。
だから決めないこと
偏らないこと
できるだけ楽な行動をすること
ルールをつくらないこと
人がそう見るだけで、結局は自分始動で人は判断している。
今日やり方を変えても、まあそのうちそんなもんなのかと思う。